奈良県高市郡明日香村阪田
北緯34度27分49.1秒 東経135度49分39.7秒
訪問日:2014年10月16日午前。
調査中でした。
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外観。本当に何の変哲もない畑に回りを囲まれた一角にあるんですね。何も表示がなければ、畑の間にある小山ということで見過ごしそう。 手前側が調査用として立ち入り禁止区域になっており、道路に面しているところ以外は畑に囲まれており。結局、道路に面している部分から概観するしか方法がない。 ゆるくなだらかな斜面の途中に築かれた古墳。来た方から登っていく(という表現ほどの斜面ではないのだが)と、やはり奥側も畑になっており。 今回注目された発掘調査で、慌てて用意されたと思われる紹介文。写真をクリックすると大きな写真で確認できます。 一部を抜粋すると。
今回の調査では都塚古墳の墳丘の規模や構造を明らかにすることができました。
(1)紛糾は南から伸びる尾根上に位置しています。
(2)墳丘の規模は東西約41メートル、南北42メートルの方墳です。
(3)墳丘の外観については壇上の石積みが施されており、他にあまり例のないものです。
(4)埋葬施設については両袖式の横穴式石室で玄室中央には家形石棺が安置されています。
(5)築造時期については六世紀後半ごろと考えられます。
ここにはマスコミで騒がれた「ピラミッド」の文字はありません。石積みをマスコミでは分かりやすくセンセーショナルに表現したのでしょう。
発掘調査に関する掲示板の全体像。写真をクリックすると大きな写真で確認できます。 話題になる以前から(?)あったと思われる石に組み込まれた古墳紹介の碑。写真をクリックすると大きな写真で確認できます。 書き出してみると、こんな感じ。
都塚古墳は、金鳥塚とも呼ばれ、横穴式石室に家形石棺を治めた、代表的な後期古墳である。墳丘は約30メートルの円墳あるいは方墳と推定されるが、確定していない。石棺は、凝灰岩の巨石をくり抜いたもので、前後左右に縄掛け突起をつくりつけた家形の蓋の部分と、遺骸を納める身の部分からなる。かつて盗掘を受けたが、発掘調査の結果、鉄鏃・刀子・須恵器などが出土しており、六世紀後半ごろの築造と考えられる。
この段階ではまだ円墳か方墳か判別していなかったことが分かります。鉄鏃(てつぞく)とは鉄の鏃のことで、刀子(とうす)とはものを切る、削る時に使われた工具の一種。須恵器(すえき)は、陶質の土器で、5世紀ごろに朝鮮半島南部から伝わり、平安時代ぐらいまでかけて国内でも生産されたと言われるものです。
石室への入口です。 厳重な扉で閉ざされていました。 扉の上に隙間があったので、手とカメラだけ入れて、石棺を撮影。 蘇我馬子の墓とされる石舞台古墳から本当に近く、明らかに蘇我氏系の墳墓と思われます。石積みのピラミッドというほかにあまり例を見ない形式もあって、馬子の父・蘇我稲目(ソガノイナメ)が被葬者として有力視されています。
現在、現地では、この墳墓を史跡指定を受けて、整備する計画も浮上しています。本稿はそうなる前の風景として、その資料としても今後も残していきたいと考えています。
古事記紀行2014 > (1)都塚古墳 > 都塚古墳
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【動画】
・都塚古墳 - YouTube
北緯34度27分49.1秒 東経135度49分39.7秒
訪問日:2014年10月16日午前。
調査中でした。
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外観。本当に何の変哲もない畑に回りを囲まれた一角にあるんですね。何も表示がなければ、畑の間にある小山ということで見過ごしそう。 手前側が調査用として立ち入り禁止区域になっており、道路に面しているところ以外は畑に囲まれており。結局、道路に面している部分から概観するしか方法がない。 ゆるくなだらかな斜面の途中に築かれた古墳。来た方から登っていく(という表現ほどの斜面ではないのだが)と、やはり奥側も畑になっており。 今回注目された発掘調査で、慌てて用意されたと思われる紹介文。写真をクリックすると大きな写真で確認できます。 一部を抜粋すると。
今回の調査では都塚古墳の墳丘の規模や構造を明らかにすることができました。
(1)紛糾は南から伸びる尾根上に位置しています。
(2)墳丘の規模は東西約41メートル、南北42メートルの方墳です。
(3)墳丘の外観については壇上の石積みが施されており、他にあまり例のないものです。
(4)埋葬施設については両袖式の横穴式石室で玄室中央には家形石棺が安置されています。
(5)築造時期については六世紀後半ごろと考えられます。
ここにはマスコミで騒がれた「ピラミッド」の文字はありません。石積みをマスコミでは分かりやすくセンセーショナルに表現したのでしょう。
発掘調査に関する掲示板の全体像。写真をクリックすると大きな写真で確認できます。 話題になる以前から(?)あったと思われる石に組み込まれた古墳紹介の碑。写真をクリックすると大きな写真で確認できます。 書き出してみると、こんな感じ。
都塚古墳は、金鳥塚とも呼ばれ、横穴式石室に家形石棺を治めた、代表的な後期古墳である。墳丘は約30メートルの円墳あるいは方墳と推定されるが、確定していない。石棺は、凝灰岩の巨石をくり抜いたもので、前後左右に縄掛け突起をつくりつけた家形の蓋の部分と、遺骸を納める身の部分からなる。かつて盗掘を受けたが、発掘調査の結果、鉄鏃・刀子・須恵器などが出土しており、六世紀後半ごろの築造と考えられる。
この段階ではまだ円墳か方墳か判別していなかったことが分かります。鉄鏃(てつぞく)とは鉄の鏃のことで、刀子(とうす)とはものを切る、削る時に使われた工具の一種。須恵器(すえき)は、陶質の土器で、5世紀ごろに朝鮮半島南部から伝わり、平安時代ぐらいまでかけて国内でも生産されたと言われるものです。
石室への入口です。 厳重な扉で閉ざされていました。 扉の上に隙間があったので、手とカメラだけ入れて、石棺を撮影。 蘇我馬子の墓とされる石舞台古墳から本当に近く、明らかに蘇我氏系の墳墓と思われます。石積みのピラミッドというほかにあまり例を見ない形式もあって、馬子の父・蘇我稲目(ソガノイナメ)が被葬者として有力視されています。
現在、現地では、この墳墓を史跡指定を受けて、整備する計画も浮上しています。本稿はそうなる前の風景として、その資料としても今後も残していきたいと考えています。
古事記紀行2014 > (1)都塚古墳 > 都塚古墳
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