・所在地:大阪府羽曳野市はびきの3-5-10
・経緯度:北緯34度55分09.96秒 東経135度59分18.78秒

・時 期:-
・時 代:古墳時代終末期
・形 状:方墳
・特 徴:-
・指 定:宮内庁治定

【概要】
第三十一代用明天皇の皇子・久米王(くめのみこ)、つまりクメの墓として、宮内庁が「埴生崗上墓」に治定している。ウマヤド、すなわち聖徳太子の実弟。ウマヤドもそうだが、古事記において、最後の方の、天皇の系譜上における記載のみであり、具体的な事績の記述はない。

羽曳野丘陵の北端に近い台地上に築造された古墳で周囲にはヒチンジョ池西古墳、小口山古墳といった終末期の古墳が近在している。古市古墳群の一つ。

日本書紀には、クメは推古天皇10年(602年)に征新羅将軍に任じられるが、翌年、筑紫にて病死、河内の埴生山の崗に葬られたと記されている。周辺にはその候補となる飛鳥時代の大型の墳墓は他に見られず、本古墳がクメの墓である可能性は極めて高い、とされている。

近年行なわれた宮内庁の墳丘測量調査により、一辺約53メートル 高さ約10メートルを測る、三段築成の方墳であることが確認されている。墳丘の表面には凝灰岩の貼石が施されていた可能性もあるという。羽曳野市教育委員会による墳丘周辺部での発掘調査で墳丘を取り巻く周濠のための大規模な外堤の存在が明らかにされている。

埋葬施設については宮内庁書陵部所蔵「来目皇子御墓御所在見取図並石槨内略図(1890年‐明治23年)によって岩屋山式(奈良県岩屋山古墳タイプ)の横穴式石室であることがほぼ確実。見取図に描かれた石の表現は直線的で、石室の寸法は玄室長さ5.5メートル、幅約3.6メートル、羨道の長さ約7.6メートル、幅1.8メートル。

クメについては、九州での病死のため、宮内庁ではほかに来目皇子殯斂地(山口県・防府市)を治定している。

【関連サイト】
塚穴古墳 (羽曳野市) - Wikipedia