・所在地:大阪府太子町聖和台1-1-24

・時 期:-
・時 代:-
・形 状:円墳
・特 徴:-
・指 定:宮内庁治定

【概要】
聖徳太子、第三十一代用明天皇の皇子・ウマヤドの墓所「磯長墓」として宮内庁に治定されている。正確には、中央の石棺に母ハシヒトノナホベが、東と西の乾漆棺(麻布を漆で貼り固めた棺)には東にウマヤド、西にウマヤドの妻の膳部菩岐々美郎女(かしわでのほききみのいらつめ、古事記に記載なし)が葬られている、とされる。

大阪府南河内郡太子町にある叡福寺(えいふくじ)にある。同寺院の山号は磯長(しなが)山、本尊は如意輪観音。開基(創立者)は聖武天皇ともいい、聖徳太子または推古天皇とも。宗派は真言宗系の単立寺院で、太子宗を名乗る。また「中之太子」野中寺、「下之太子」大聖勝軍寺とともに三太子の一つに数えられ、「上之太子」と呼ばれている。

聖徳太子の墓所とするのは後世の仮託だとする説もある。古墳は直径約55メートルの円墳とされ、横穴式石室をもち、内部には上記の3基の棺が安置されているという。

平成14年(2002年)に、墳丘の周囲に石の列で二重に囲まれている結界石の保存のため、宮内庁書陵部によって整備され、墳丘すそ部が3カ所発掘された。同年11月14日、考古学、歴史学の学会代表らに調査状況が初めて公開された。墳丘の直径が55メートルを下回る可能性が指摘されている。

古代に難波と飛鳥を結ぶ官道として開かれた竹内街道(たけのうちかいどう)に沿う。河内飛鳥の一角を占め、王陵の谷といわれるほど古墳が多く、敏達、用明、推古、孝徳の天皇陵などが付近にある。

【関連サイト】
31代・用明天皇の第2皇子、聖徳太子磯長墓 大阪府太子町 2010.12. - 道端の出会い

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