・所在地:奈良県橿原市鳥屋町33-2
・経緯度:北緯34度47分82.03秒 東経135度78分03.39秒

・時 期:5世紀末
・時 代:古墳時代中期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:宮内庁治定

【概要】
宮内庁により「身狹桃花鳥坂上陵(むさのつきさかのえのみささぎ)」として第二十八代宣化天皇の陵に治定されている。古事記には陵に関する記載はない。

墳丘は前方部を東北に向けた2段構築の前方後円墳で、全長138メートル、後円部の直径83メートル、前方部の幅78メートル、造り出しが左右にあり周濠をともなう。外部からの観察ではあるが円筒埴輪と葺石が確認されているほか、古墳に接した鳥屋池の北東側の堤防下からは護岸工事の際に土器が多数出土している。

築造時期は5世紀末から6世紀前半と見られている。治定はされているが、若干時代がずれており、宣化天皇より少し古い時代のものの可能性も指摘されている。

宣化天皇は、父が第二十六代継体天皇。同母兄に第二十七代安閑天皇がいる。安閑天皇に子がなかったため、史上では69歳という高齢で即位、在位は三年と短く、天皇としての事績に乏しい。

娘に、異母兄弟の第二十九代欽明天皇に嫁いだイシヒメがおり、イシヒメが第三十代敏達天皇らを生み、現在の皇統に連なる。天皇家の系譜も参照。

父の継体天皇の陵は太田茶臼山古墳(大阪府・茨木市)に、実兄の安閑天皇の陵は高屋築山古墳(大阪府・羽曳野市)に、異母兄弟の欽明天皇の陵は梅山古墳(奈良県・明日香村)に、それぞれ治定されている。

【関連サイト】
鳥屋ミサンザイ古墳 - Wikipedia