・所在地:奈良県香芝市今泉1228-2

・時 期:-
・時 代:-
・形 状:-
・特 徴:-
・指 定:宮内庁治定

【概要】
宮内庁により「傍丘磐坏丘北陵(かたおかのいわつきのおかのきたのみささぎ)」として第二十五代武烈天皇の陵に治定されている。

名称は、傍丘磐坏丘南陵古墳(奈良県・香芝市)に治定されている第二十三代顕宗天皇の「傍丘磐坏丘南陵」と対応したものであるが、古事記には「片岡之石坏岡」とあるだけで、日本書紀の記述も含め、南北の区別はない。

第七代孝霊天皇の陵「片丘馬坂陵(かたおかのうまさかのみささぎ)」に治定されている片丘馬坂古墳(奈良県・北葛城郡)も含め、これら三陵を「片岡三陵」と呼ぶ。

自然の丘陵を造成した陵と指摘される。

武烈天皇にはこのほか、陵墓参考地として、新山古墳(奈良県・広陵町)が治定されている。

武烈天皇は、父が第二十四代仁賢天皇。古事記に具体的な事績の記述はないが、小長谷若雀命(おはつせのわかささぎのみこと)という名前からして、第二十一代雄略天皇の大長谷命(おおはつせのみこと)と似ており、特徴としても暴君とされるところが共通している。

子をなさなかったため、古事記に下記の一文が現れ、

天皇既崩、無可知日續之王。故、品太天皇五世之孫・袁本杼命、自近淡海國、令上坐而、合於手白髮命、授奉天下也

袁本杼命、つまり継体天皇が第二十六代天皇として即位する。天皇家の系譜も参照。

なお、父の仁賢天皇の陵はボケ山古墳(大阪府・藤井寺市)に治定されている。

【関連サイト】
25代・武烈天皇 傍丘磐坏丘北陵 奈良県香芝市 2010.11 - 道端の出会い

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