・所在地:奈良県大和高田市築山字城山

古墳ランキング > 27位
大王(オオキミ)墓候補

・時 期:4世紀末
・時 代:古墳時代中期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:陵墓参考地

【概要】
宮内庁により「磐園陵墓参考地」(被葬候補者:第二十三代顕宗天皇)として陵墓参考地に治定されている。

墳丘長210メートル、後円部径120メートル、前方部幅105メートルの前方後円墳で、全国27位。馬見古墳群に属し、南群の盟主墓とされる。

周濠に掛かる外堤は後円部北方にあり、また、北方の周濠は外側から埋め立てられて細く変形しており、本来の周濠は南北対称であったと思われる。墳丘の後円部と前方部の接合部である南側だけに、外観から造り出しの存在が確認できる。

いずれも陪塚とみられるが、周囲には巨大な古墳が複数あり、狐井塚古墳、コンピラ山古墳、茶臼山古墳、児童公園古墳などが主要なところで、これらとともに築山古墳群を形成している。

以前は第二十五代武烈天皇の陵墓ともされてきた。しかし1996年に周濠の改修工事の際に宮内庁が調査しところ、出土した埴輪片が4世紀末ごろのものとわかり、武烈天皇とは時代がかけ離れていることが明らかになった。

武烈天皇は現在、傍丘磐坏丘北陵古墳(奈良県・香芝市)を「傍丘磐坏丘北陵」として治定され、別に陵墓参考地として、新山古墳(奈良県・広陵町)が治定されている。

また、現在の被葬者候補である顕宗天皇は、この古墳とは別に傍丘磐坏丘南陵古墳(奈良県・香芝市)を「傍丘磐坏丘南陵」として治定されている。憲宗天皇の皇后ナニワの陵は狐井塚古墳とされている。

なお、同名の古墳は全国に分布しており、主なところでも大分県大分市福岡県糸島市、岡山県瀬戸内市などにもある。
築山古墳(奈良県・大和高田市) by Googleアース - ぶっちゃけ古事記
【関連サイト】
築山古墳

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