・所在地:大阪府羽曳野市島泉8丁目

・時 期:5世紀後半
・時 代:古墳時代中期
・形 状:方墳
・特 徴:-
・指 定:宮内庁治定

【概要】
宮内庁により「丹比高鷲原陵(たじひのたかわしのはらのみささぎ)」として第二十一代雄略天皇の陵に治定されている。古事記には「河内の多治比の高鸇にあり」とされる。

古市古墳群に属し、その西北部に位置する方墳で、一辺50メートル。島泉丸山古墳(円墳)と隣接している。「丹比高鷲原陵」という名称を島泉丸山古墳と共有しているため、方墳と円墳を一つの前方後円墳に見立てているという説もあるが、一応別々の古墳として、通常は認識されている。

雄略天皇陵については、宮内庁が被葬候補者を雄略天皇として「大塚陵墓参考地」と治定する河内大塚山古墳(大阪府・松原市)や、宮内庁が「惠我長野西陵」として第十四代仲哀天皇の陵に比定している岡ミサンザイ古墳(大阪府・藤井寺市)ではないか、などの説がある。

世界遺産への登録を進めている百舌鳥・古市古墳群のリストにおいて、「雄略天皇陵古墳(島泉平塚古墳)(ゆうりゃくてんのうりょうこふん(しまいずみひらつか))」として、方墳(50m)、NO.F4で設定されている。百舌鳥・古市古墳群のリストにおける古市古墳群のリストも参照。
島泉平塚古墳と島泉丸山古墳(大阪府・羽曳野市)
【関連サイト】
平塚古墳

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